「上下関係」正義主義者は今後の社会で生き残れない事実

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(え?マジか・・・。)

僕は会社に入ってがっかりした。大人はみんな「一生懸命」働いているんだと思っていた。でも違う、人間は人間なんだ。

いつも通りに出勤し、下期に入るということで朝から期首挨拶を聞かされた。直接話したことも無いおっさんの挨拶を、一体何人の人がまじめに聞いていたのだろう。正直に言おう、僕は全く聞いていなかった。
ここでいう「全く」は”学生時代に居眠りをして耳をかさない”というものではない。聞いた結果、生まれるもの(メリット)が何も無いと感じたから。むしろ僕はその分の時間を失うと思った。だから聞かなかったのだ。

そこから僕は、携帯の画面に目を落とす。最近は時間できたらグノシーやらカメリオやらで少しでも情報を取り入れようとしているから。

いつの間にかできてる上下関係

さあ、本題に入ろう。ここまで読んでくれているあなたならきっと、今から記すことを理解してくれると思う。あなたは上下関係について、どんなイメージをもっているだろうか。

上の人が言ったことは絶対。「あれをやれ」「これをやれ」など命令的に人を動かすイメージでは無いだろうか。

先に生まれたり、長く働いているくらいで、なぜ命令するのか。そこには不満しか生まれないのに。実際に「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、上下関係を礼儀と捉えることもある。

だが「俺らはこう教わってきた」「俺らの時代はこれが普通だ」こういうのではない。こんなのはもう聞き飽きた。こういうことを言う人間の多くは「人の使い方」を間違っている。

きっと今まで過ごしてきて、何かつらいことがあったのだろう。それと同じ体験をさせるべく「命令」という形の腹いせをこちらに振りかけてくるのだ。なんとも迷惑な話だ。弱いものに向けてしか発散できないなんて。自分の実力不足だということも分からずに。

上下関係のルーツを探る

いきなりだが、義務教育というのは人の個性を奪うところだと僕は思う。そのため同じような人間ができてしまう。だが人は自分をオリジナルにしたがるし、そういうのを好む。そしてそれが人と人との差というわけだ。

個性の差はなくとも、能力の差は存在している。そこに優越が付いてしまったら、もう覆ることは無い。そのことを幼い義務教育期間で、すでに学んでいるのだ。そして人は、上のものには勝てないという癖が付いてしまう。

じゃあどうするか

大切なのは、立場とか年齢とかじゃなくて自分自身の実力なわけだ。何事も実力勝負の社会じゃないと人として成長しない。

ただ年だけとって、なんの成長もしていない。そんな人間が今の社会にどれだけいることか。そして上にいる年代が退かないと上にいけない環境なのだ。どれだけ若い目を潰すのだろう。

若いやつは何もできない?逆だ、会社なら若手が「やらせてください」といえる会社を作る必要がある。そのチャンスを潰さないでほしい。そしてチャレンジに対する評価により、人は成長を実感できるのだ。

尊敬できる相手なら一緒に仕事をしたいと思うし、助けになりたいと思う。それこそ理想な環境ではないだろうか?理不尽な社会が浸透しすぎて、異変に気付かない若者が多い。自分でやらなきゃ成長できない。

まとめ

今の僕は”言われることだけやってればいい”とそっち側の人間になりかけていた。だからブログをはじめ情報発信をしている。一種の自己整理的なものかもしれない。なにをどうして、何を信じるのかを決めるのは自分自身だ。